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一所懸命といふこと [カラテ]

道端に花が咲いているのを見つけて、綺麗だなと思う。
さりげない心の動きではあるが、何かに向けて懸命になっているとき、人はそうしたことも忘れてしまうらしい。


土曜日のカラテの稽古の後に、指導を頂いている先生から、そんなお話を伺った。
先生は、現役選手を退いてしばらくたって、道端の花にふと目が留まった時、自らが現役を退いたことを実感したそうだ。


つまり、現役選手のころは、花を見て美しいと感じる心も失うほど、修行に打ち込んでいたことに、そのとき先生はハッと気づいた・・・との謂いである。先生は加えて曰く、その当時、自らにとってのカラテは苦行そのもの、現役選手のころに、何につけ楽しいと思ったことは一度もない。それでも、その苦行をやめなかったのは、世界一になりたいとの一心だったと。


そんな話を僕は黙して聞いていた。
そして自分には、そこまで何かに傾倒していたことが果たしてこれまでにあっただろうかと、自らを顧みていた。


そんな中で、ふと、心に浮かんだことがある。
何気ない道端の花を見て美しいと感じたこと・・・僕にも強烈に記憶に残っている景色がある。


それは、1年の浪人生活の末に、中央大学法学部への合格を決めた直後のことだ。
道を歩いているとき花が風に舞っていたのに、目を奪われた。春のこととて、それは季節を代表する梅でもなければ桜でもない。名前も知らない白い花である。


その景色は、今まで見た花の景色の中で最も美しいものとして心の中に刻まれている。
それは満開の桜では無く、道端の名もなき白い花が風に舞う景色。


浪人していた一年、テレビも見ずラジオも聴かず。ただ予備校と予備校の寮を往復する点と線との生活で、その一年は、どんな歌がはやっていたのかも全く知らない。いまでも、回顧番組をみていると1988年の流行だけ僕の記憶にポッカリ穴が開いている。

一日の睡眠時間は4時間も取っていなかったのではないだろうか。とにかく、平日休日の分なく、予備校の授業、その予習復習のほか、自らが課した受験対策の自主学習のメニューを終えるまでは、寝床につくことを自ら律して一年過ごした。深夜、寮の隣の部屋の友が起きていれば、負けるものか、隣が寝るまではと、もう一問、さらにもう一問と課題を追加した。

なにせ高校を卒業した時の成績は酷いものだったから、一年余分に勉強すれば成功が確約されるなんて思えるわけもない。どんなに問題集をこなし、どれだけ英単語を覚えたところで十分だとはとても思えない。とはいえ、そんな不安を少しでも解消していくには、自らの信じた道を正直に進むだけであった。


そんな僕の18歳から19歳にかけての1年間。
何度思い出しても胸が苦しくなるくらい厳しい一年だったけど、そのおかげで今があるのは間違いない。


それから30年が経つ。
その後の生活で・・・仕事にしても、自らのカラテ修行にしても、苦しいときは多々あった、いまもあるけれど、まだ花をめでる気持ちを忘れるほどに自らを追い込んだことが一度でもあっただろうか。


僕の中には、自分を甘やかしている自分が身体のどこかに居座ったままなのだ。


世界を制した先生には遠く及ばぬのはわかっている。しかし、僕とて花の美しさをめでる気持ちを忘れるほど自分を追い込んでいたことは確かにあった。


まだまだこのままじゃいけない。このままでは終わってはいけない。
帰りの電車に揺られながら、そんな言葉を頭の中で繰り返していた。







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