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情報・知識・知恵 [カラテ]

僕の小学校の同級生が、お子さんのことで悩んでいました。

お子さんは受験を控えているのだけれども、ここにきて、どうも勉強に身が入らない。そのうちに勉強することに何の意味があるのかという思いが強くなり余計にやる気を失ってしまっている。

それを聞いて、僕も受験生のころのことを思い出して、こんなことを話しました。

勉強という言葉は、「学問」という意味とともに、「気が進まないこと嫌なことを敢えてする」という意味があります。よく、商売をしている人が値引きをするときに「勉強しますよ!」っていうでしょう。それは後者の意味から来ている用法です。
だから、勉強するのに身が入らない、勉強したくないという気持ちは当然、人の心に湧いてくるものです。

では、なぜ私たちは気が進まないなかでも、それをおして勉強しなければいけないのか。
それに教科書に書いてあること、いろんな教科の問題集を解くこと、それだけを取り上げると、それら単体が、私たちが生きていくために直接役に立つものには思えません。このことも勉強する気が今一つ起きない要因だと思います。

私たちは日々様々な情報に囲まれて生活しています。その情報のことを英語で information といいます。information は知らず知らずのうち無造作に頭の中に入り込んではいますが、そのままでは頭の中に残りません。

その数多のinformationを自分が大切だと思った、、興味を持ったといった基準で整理して頭の中に残します。そしてそれが頭の中に知識として残るのです。それを英語では knowledge という。

そして頭の中に貯めた knowledge の数々が複雑に絡み合って、それが知恵となる。これを英語で wisdom という。この wisdom こそが世を生き抜いていくために必要なのです。

受験生は、まさに、勉強することを通じて infomation を knowledge として頭の中に蓄積している真っ最中なのです。そしてその knowledge が多ければ多いほど、そこから生み出される wisdom は豊かなものになり、それは同時に自身の今後の人生の豊かさに関わってくるに違いない。
僕が友達にしたお話しはここまで。
実は、このお話し、僕のオリジナルではありません。

まだ時代が昭和だったころ・・・その昭和の最後の年のこと。
僕は東京の駿台予備学校に通う浪人生でした。そして住まいは千葉の船橋市にある予備校の寮。その寮に、駿台の高名な英語講師である奥井潔師(おくい・きよし=駿台では講師のことを師と呼ぶんです)がいらっしゃって寮生を前に講話をしてくださいました。これは、その時僕が聞いた奥井師の講話そのものなのです。

当時、18歳の僕の頭の中に、このお話しは強烈に残りました。いまでも目を閉じると、僕たちを前に語り掛ける奥井師の朗々とした声とその柔和なお姿が頭の中にめぐります。

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奥井 潔 師

受験生を抱える親として悩んでいる友だちに、いい機会だと思って、奥井師の講話を紹介した・・・たというわけです。

そしたら、同時に、大山総裁が好まれていたという格言も頭に浮かんだので、それも紹介しました。
「牛を水飲み場に連れて行くのは、牛飼いの役目。ただし水を飲むか飲まないかは、牛自身の問題だ。わたしは空手を教えるが、強くなるかならないかは、君たち自身の問題だ。」

受験生のみならずあらゆる生徒・学生の皆さんの目の前には knowlege のタネが溢れんばかりにあるんです。
それを取り入れるかどうかは・・・あなた自身の裁量。そう、目の前の宝の山があっても、それを手に入れらるかどうかは、結局、自分自身の行動にかかっているのです。

そうそう・・・
information → knowledge → wisdom の昇華って、私たちの稽古とも似ていますよね。
古来から我が国にには、相手を倒したり自分の身を守るための攻撃防御の技がたくさん伝えられていた。それを大山倍達総裁が整理されて基本稽古として確立された。
私たちはその基本稽古の動きを学び習得し、それを移動稽古に、さらに組手へと生かしていく。

ということで、我がフジテレビ同好会では、基本稽古を大切に、めいっぱいカリキュラムの中に取り入れています。


今年もフジテレビ同好会を、どうぞよろしくお願いいたします。

押忍
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