SSブログ

キチガイに刃物と言いますが・・・ [ニュース]

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190318-00000061-kyodonews-soci

心神喪失を認めて無罪判決か・・・
では、これを許した社会に対する罪はどう問われるのだろうか。


心神喪失者に罪を負わせない、あるいは耗弱者の罪一等を減じるのを法が認めているならば、それを許した社会は何らかの罪を負うべきであろう。


こういう、人の心を失った人間が野放しになっていることこそ問題だ。
今のままでは、被害にあった人間はどこに責任の所在を求めればいいのか、法は何も答えていないでは無いか。


私たち放送に携わる者は放送で犯罪を犯した者の精神病での通院や診療の過去に言及すると、一部の視聴者さまから、激しい非難を受ける。そのため、そうした言葉や表現を避けるべく、放送前に大きな労力、神経を使っている。
また、放送上の表現で「気が違う」「狂う」といった表現は徹底的に排除するようにしている。


でも、私たちに苦情をもたらす人たちは、この判決にあるような事態を未然に防ぐ、あるいは、起きてしまったことについて、どう解決していけばよいのか。そういったことに対しての答えを何らもたらすことは無い。


日常の生活でも、電車の中で、見えない相手とけんかしているような人に出くわすことがある。
目でも合えば、こちらが攻撃の対象になるのではないかと危機感を覚えることも少なくない。
また、こちらに何の落ち度もないのに、攻撃的な罵声を浴びせられたことだってある。


命を失わなかった、あるいはケガの一つも無かったからよかったでは済まない問題だ。ともすれば、命を失った上に、責任の所在が無い「やられ損」になったかもしれない事態と同等だと思う次第だからである。


こうした心神耗弱や喪失を心の病と称するならば、必ず治療が行われるべきものであろう。
その治療を行ったものは、その対象が世の中に無制限に出てもよいものか、もっと厳しく判断してもらいたい。そのうえで、もしその判断を怠り、何らかの社会への迷惑をかけたら、治療をし診断をしたものにこそ責任が及ぶようなシステムを確立するなどといったことは出来ないものだろうか。


これは、あくまで一個人としての見解である・・・いつも言うように。



nice!(6)  コメント(1) 
共通テーマ:日記・雑感