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切歯扼腕 [よしなしごと]

オリンピックは、世界的にも注目度が高い大会です。
なので、そこで日本人選手が活躍すると、国中がわきますし、わたしたちも、その一戦一戦をワクワクドキドキしながら見ています。


これまでは。


でも、ふと冷静になってみると、それは、結局、西洋人を中心としたお祭りに過ぎないんじゃないかと、しばしば僕は思う時がありました。
競技日程の組み方・・・それはどこの地で開催されようが、アメリカのテレビ放送を意識しています。
今回の東京でもそうです・・・マラソンなんて朝の5時にスタートでしたっけ??


ルールだって、日本人が活躍し始め、それが手に負えなくなると、すぐに変えられる。その活躍に水を差すように。


たとえば、背泳におけるバサロスタート。鈴木大地選手がソウルオリンピックで金メダルを獲得したとたんに禁止になりました。
さらに、ノルディックの複合。
日本の選手はジャンプで得点を稼いで、クロスカントリーで追い上げる外国人から逃げ切るというのが勝ちパターンでした。それでワールドカップは連戦連勝、オリンピックでも金メダルを獲得しています。そしたら、ジャンプのルールが改定された。ジャンプにおいては、スキー板のサイズが背の高さに応じて決められることとなり、体格に劣る日本人はおのずとスキー板が小さくなってしまい風を受けにくくなることによって、従来の勝ちパターンのジャンプで稼ぐということが出来なくなりました。


オリンピックは、世界平和の祭典だの、いかなる差別も許さないだの、立派なお題目を掲げていますけど、結局、西洋人以外が活躍することを快しとしていないのです。
その程度の倫理観で開催されている大会だと僕は思うようにしています。
だから、日本人選手が出ていれば応援はしますが、負けても、しょせん、西洋人の価値観の中で不利な戦いを強いられているのだから、ある程度はあきらめないとみたいな間隔も常に携えてみています。


また、日本古来の武道である柔道が競技として採用されていますが、柔道着は青くなるし、いまや畳は毒々しい色のマットに変えられ、本来、日本の文化の中で発展してきた柔道らしさがまるでない。
ルールも寝技が軽んじられ、ポイント制度も酷いものです。
これらは、柔道の何たるやを正しく理解していない西洋人が試合の機微がわからないからと、片方の柔道着の色をかえたらどうかという提案したことにより採用されたもの。柔道場のマットの色も同じような理由でしょう。
寝技が軽んじられてきたのも、寝技の攻防が観ている人にはだるく感じるからです。
柔道はもともと、戦場で刀が使い物にならなくなったとき、あるいは相手を汲み伏して首をとるための技が原点です。つまり寝技こそ柔道の真骨頂なのに。


このように全く私たち日本の文化や美学を無視した、西洋の価値観の押し付けによって、柔道の姿は変えられてしまったと、見るたびに残念です。


今回の東京大会の開催をめぐる動きにも、そんな、オリンピックの「いかがわしさ」が見え隠れ・・・というか、あらわになっているのではないでしょうか。
今回、どうあっても開催するというのであれば致し方ないですけど、これを機に、私たちはオリンピックに対する向き合い方について、冷静に考えてみるといいと思います。


世界の頂点を決める大会はオリンピックだけではありますまい。




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